誰もが幸せを感じられる社会を目指します

日高市にて産声をあげる

家の隣にある川で川遊びをして過ごした。
祖父の五郎兵衛とは、一緒によく魚釣りを楽しんだ。
1967年
日高市立高麗川小学校卒業
1970年
日高市立高麗川中学校卒業(陸上部に所属)

政治家を志す

父が鉄道の事故にあい、様々な方々にお世話になりました。祖父が町議会議員をしていたこともあり、自分も政治家として社会に恩返しをしたい考え、このころ政治家を目指し始める。
1974年

武蔵越生高等学校卒業(躰道部所属/沖縄玄制流カラテ)
1976年

村田簿記学校(短期2年)卒業
2010年4月
法政大学経済学部商業学科に入学、在学
父の急死により、日高ハイヤーを継ぐ。

日高市議会議員に初当選

環境問題や福祉問題、遅れているインフラ整備の充実に積極的に取り組んだ。


会派は鶴声会に所属。

埼玉県議会議員補欠選挙で初当選

日高市としては三人目の県議会議員で、その重責に改めて身の引き締まる思だった。
農林業の充実、飯能寄居線バイパス(猿田工区)用地交渉に成功し、翌年開通に至る。

埼玉県議会議員4期連続当選

監査委員、社会福祉審議委員、都市計画審議員、環境審議員、県立がんセンター運営協議会委員、県国土利用計画審議会委員などを歴任。
県議団では、総務会長、副団長、幹事長などを歴任。
新潟中越地震発生後3日目に、ボランティアとして向かう。以後、災害問題には県に対して強く訴えるようになる。自主防災組織の拡大に力を注ぐ。
高校生中途退学者の抑制のために、いろいろな高校を視察。またいじめ問題に対しても議員提案で条例制定に向けて、検討をはじめる。
防犯のまちづくり推進条例を議員提案で提出し、可決制定。

埼玉県議会112代県議会議長に就任

2010年3月26日、2月定例会最終日に80票の最高得票を頂き 第112代県議会議長に就任(西部地区においては45年ぶりとなる)
景気低迷の中、本県雇用問題に対し、県議会として最重要課題として取り組む。
二元代表制の一翼を担う県議会としての果たす役割を再検討する。

埼玉県議会災害連絡本部長に就任

東北地方での大震災直後、埼玉県議会災害連絡本部長に就任し、議員報酬削減を提案し、支援物資の調達に奔走。
二元代表制の一翼を担う県議会としての果たす役割を再検討する。

埼玉県議会予算特別委員会第11代委員長に就任

県西部の県議として初となる委員長に就任し、県の一般会計当初予算や特別会計当初予算及び公営企業会計当初予算の審査並びにこれに関連する事項の調査を行う。

自民党県議団団長に就任

2014年3月、自民党県議団団長に就任し、日々の公務に全力投球、地元日高市の代表として埼玉県の更なる発展に寄与。